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飲食ビジネスのイノベーション dotBAR BARTUBEのケース事例

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異業種のビジネス参入って、障壁が高い。

事務所で酒が飲める場所を探した…。

しかし

事務所を改装するよりも、BARを事務所に改装した方が安い!


当時は、mixiが流行の兆しをみせはじめ、とんがっている人はmixiを触りはじめていた。

まずは、コミュニティでBARの構想を公開。

物件探しを開始。

続いて、賛同いただく出資者も募集。 

このあたり、実は規約違反。

完全非公開で、ネットだけで集まる店として、

2004年10月12日、43歳の時に初めてオープン。

その後、本営業までに企画を練り直し、食品衛生管理者試験の資格を受け、保健所の許可を得て正式開業。

いかに、食品衛生管理者試験がずさんすぎるのかもわかった。あれは、保健所の天下りの温床でしかない。

保健所の衛生許可も現在の衛生には、まったくそぐわない法律だ。

本来、客を保護するための法律なのに、そうなっていないところは是正や見直すべきだろう。

看板もださずに、地図もださない。

知人限定というスタイルで、オープンしてから、知人が知人を連れてくるというカタチで運営をしていた。


当初から、客単価を3,000円としたかったため、店内通貨として、10枚綴りのチケットで、1枚300円を1キャンディというポイント制度にした。チャージ2キャンディ。ドリンク2〜3キャンディという単位だ。

その非公開というスタンスながら、mixiやブログの影響で除々に周知されていった。

プロジェクターとモニタ、ネット回線など、当時としては、ITbarというコンセプトがなかったので、エンジニアの人たちも集まりはじめ、プレゼンピッチや、セミナーなども盛んに展開するようになった。

普通のBARと違うところは、最初からBARをやるのではなく、飲食業界のイノベーション事例を作ることだっったからいろんな実験が試みることができた。

中でも、ユニークだったのは、「アフィリエイト酒」。

http://nazuyo.jugem.cc/?eid=151

お客さんが、店内で扱っていない酒に限り、自費で購入して店内に「アフィリエイト酒」として置く。

それを客は、3キャンディ(900円相当で飲む)購入して飲む。店側は2キャンディ(600円)をもらい、1キャンディ(300円相当)を客のボトルに貼っておく。

飲んだ人は、味の感想などを書込み、ボトルに1キャンディ貼る。持ち込んだ人は、ボトルに貼られたチケットで、店内でまた飲食ができる。15杯以上は取れるので、15キャンディ(4,500円相当)のボトルからのBarTube内地域限定通貨を使用できるのだ。

この企画は、なかなかいい企画だったと思う。何よりも、客同士が、時間と場所を越えてつながり、SNSで知人になるのだ。そして、店側は、まったく仕入れをしないで、2キャンディ分の消費が得られるのだ。
もちろん原価ゼロのしくみだ。

これは、法的にクリアするために、古物商の免許を渋谷警察署に詰めて確認したところ、酒は古物の枠組みがないという事で一気に法的にクリア!
何事も、企画とそのあたりの法律は調べておいて損はない。

 そして、もうひとつ、企画の持ち込みで、ハインツのケチャップのロボットがやってくることになった。

ネット回線があり、客の著作権がクリアされているということでこのロボットがやってきた。

BARにくることが出来ない人でも、店内のケチャップ型ロボットを通じて、コミュニケーションが図れるという日本ハインツのウェブ企画コーナーとして、店内がつながっているのだ。

大人ケチャップなのだ。ケチャップでチャットで、kechat(ケチャットさん)と呼ばれた。

店内は、キーボードではなく音声で答える。ネット側は、音声を聞いて、漢字ではなく、ひらかなの文字だけでチャットを行う。

この非対称なコミュニケーションの設計は、まるで本当にケチャットという人口知能型のロボットがいるように感じることができた。

これから行こうとして、店内の盛り上がりを確認することもできる。

スマホ時代の今なら、もっといろんな事ができそうだ。
 

 

 

 

 http://next.rikunabi.com/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000726

メディアへも登場するが、場所はシークレット。

しかも、鉄の防火扉で閉ざしているから、まさか?この中という驚きもあったようだ。

mixiのブレイクはBARの運営にも幸いだった。

  

そして、約2年間。

2006年11月1日、ある程度、IT業界の中で認知がはかれたところで、YouTubeの勃興を予見し、BarTubeという店名でリニューアル。ただ、YouTubeスタジオコンセプトは、実は、4年も早かった。YouTubeのユーザーのビジネスブレイクは2010年以降だった。

その替りに、店内では、Second Lifeのデベロッパーが集うようになった。

BARでプリムの講習会をやるなど、異質さはさらに増していった。 

 

 

 http://www.shibuyabunka.com/keyperson.php?id=27

 

本来、多目的なスペースで、高校時代の自分の部屋でできなかったことを実現する「遊び場」だった。
IT業界の著名人も日本に来た時に、ゲストとして遊びにこられるようになってきた。


wikipediaの創業者のジミー・ウエールズさんの来訪時は、たまたまセッションデーだったので、彼の前で即興のWikipedia Bluesを披露するなども楽しい想い出のひとつとなった。

映像がこうやって残っていることはとても嬉しい。

 

 

2008年7月、BarTubeを事業譲渡させていただいて、経営から退く。

http://ameblo.jp/snbar/

 

はやいもので、あれから、もう6年。

また、IT BARの企画をいろいろやりたくなってきている。

幸いにも、関西時代からの盟友の森川さんが、麻布十番でロックバー「シリコンカフェ」を運営している。

http://siliconcafe.me/

〒106-0045 
東京都港区麻布十番2-8-16
ISIビル2F

ジョインして何か一緒にやりたくなってきた。
ロック好きな森川さんらしい!
http://siliconcafe.me/msater_blog/

以前、すこし、火曜日店長をやらせていただいたので要領は心得ている。

やはり、オトコには遊びの場が必要だ!

 

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【wikipedia】1888年、空気入りタイヤが生まれたきっかけは獣医師のダンロップからだった 

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wikipediaに追記しました。

1888年、スコットランド人獣医師のジョン・ボイド・ダンロップは息子のジョニーから自転車をもっと楽に早く走れるようにするにはどうしたらいいと聞かれ、その時はただ、「練習しなさい」とだけ答えた。しかし、ジョニーが自転車のタイヤを壊してしまった時に、あるヒントが頭に浮かんだ。  それは、タイヤの構造が動物のおなかと似ているという事であった。ジョン・ダンロップは、ジョニーのために獣医の知識を動員し、ゴムのチューブとゴムを塗ったキャンバスで空気入りのタイヤを作り、木の円盤の周りに鋲で固定した。これが世界初となる空気入りタイヤの発明であり、同年に特許を取得し翌年の1889年にダンロップを設立した。

しかし、ロバート・ウィリアム・トムソンが1845年に同じような特許を提出しており、法廷で争う。
19世紀はまさに特許で争うことに時間がかけられた時代でもあった。

ダンロップミュージアム

 

1890年、ドイツ系アメリカ人のハーベイ・ファイアストーン(元の姓は「Feuerstein」フォイアーシュタイン) は馬車用のゴムタイヤを製造していた。1904年ファイアストーンはヘンリー・フォードのタイヤ製造を行う。

Harvey Firestone, Henry Ford, Thomas Edison

 

1908年、ヘンリー・フォードがT型フォードを発明する。発売価格は850ドル
ベルトコンベアによる大量生産方式だが、そのベルトコンベアは、フォードが務めていたエジソンの失敗した金鉱鉱山ビジネスのベルトコンベアからインスパイアされている。

当時の賃金相場は1日2ドルだが、生産ラインで重労働するものは、1日5ドルの高給が支払われ、誰でも一年勤めれば自動車が買える給与体系となった。

注目したいのが、クルマのUIともいえる、アクセル、クラッチ、ブレーキ。それはピアノのペダルからインスパイアされたということだ。ピアノのペダルのダンパー、ソフテヌート、シフトのメタファーを持ち込んでいる。 T型フォードは、「誰でも買える」 だけではなく、「誰で運転できる」 を実現した。

1923年(発売から15年目)には、年間121万台のベストセラーとなるが、1925年には、290ドル(34%)にまで下がる。それでも1927年までの19年間で1500万台以上が製造された。

 

1920年、エナメルの黒一色しかなかったT型フォードに、新しいラッカー系塗料を開発したデュポン社のピエールSデュポンは、出資先であるGM(ゼネラルモーターズ)にアルフレッド・ストーンを送りこみ、大衆車のシボレーを多彩な塗装をする戦略「モデルチェンジ」でフォードの市場を塗り替えていった。単一車種単一カラーのT型フォードから、多品種他モデルの戦略で市場を奪っていった。

デュポンの歴史 

 

 

 

1930年、石橋正二郎は、ゴム足袋を作っており、日本足袋株式会社のタイヤ部から1931年ブリジストンタイヤ株式会社設立。モータリゼーションの波が訪れる。長女の石橋安子は、鳩山威一郎と結婚し、鳩山由紀夫、邦夫兄弟の母。約300億円の資産家